7月14日付
太地浦捕鯨図の屏風
石垣記念館で特別展示

 太地町立石垣記念館で12日、「渡瀬凌雲と太地五郎作 熊野太地浦捕鯨図屏風(びょうぶ)特別展示」が始まった。この屏風(4曲1隻)は、太地五郎作と縁のある凌雲(1904—1980)が描いたもので、同町が4月に購入した。特別展は10月30日まで。

 凌雲は大正・昭和時代に活動した画家。大正14年の21歳のとき、古式捕鯨に関する豊富な知識を有していた五郎作と出会い、支援を受けるだけでなく太地捕鯨の図や鯨の図を描くときに五郎作から指導を受けた。

 特別展示の屏風は、太地鯨組の勢子舟がザトウクジラに銛(もり)を打ち込んでいる場面を描いたもので、大きさは147・5×195・0㌢。制作年は未詳。

 昭和天皇の南紀行幸(昭和4年)に際して五郎作が献上した凌雲の作品「熊野太地浦捕鯨図巻」の下図と考えられている貴重な資料、古座・太地・三輪崎の鯨組による捕鯨の様子がまとめて描かれている江戸時代後期の「紀州熊野浦捕鯨図屏風」(複製、和歌山県立博物館所蔵)なども展示されている。

 凌雲は大正12年の関東大震災を機に東京を離れ、翌年から新宮に転居。その後、約7年間和歌山県内で活動した。父親は野中村(田辺市中辺路町)出身。

 五郎作は明治7年、太地生まれ。下里郵便局長を退任した翌年の大正8年に勝浦町長、同11年に和歌山信用組合専務理事、戦後は和歌山信用金庫理事長を務めた。父親は捕鯨創始者の子孫で、太地鯨組の山旦那(クジラの来遊を見張り、鯨舟を指揮する山見の責任者)だった。

特別展示されている「熊野太地浦捕鯨図屏風」